尖った石を積み上げるのも形の異なる砂と砂を合わせるのも、難しい。
形状が異なるから合わないというのも自然の摂理、
でもその先には調和の瞬間はあるかと、、音楽を志す人間は思考したわけです、
イスラーム教とユダヤ教とキリスト教の聖地であるエルサレム。
キリスト教でも、ギリシャ正教、アルメニア正教、エチオピア正教、コプト正教、シリア正教、そしてローマカトリックに分別化。
その後、ビザンティンはユーラシアにも広がり、、、
今現在、世界にはどれ位の宗教があるのだろう、、、
今日からローマに入りました。もう幾度も訪れているローマの景色が、エルサレムから入るとその建築物さえ何か近代的に感じてしまう瞬間の連続、、
同時にエルサレムが遠い日々に感じてしまいます。
マーラーが交響曲第5番に対位法という手段を使って多義性を打ち出した理由のひとつをダイレクトに体感したエルサレム公演でした。
さっきローマが近代的に感じると言いましたが、言い換えれば洗練された建造物に感じています。
自然の摂理を知りながら、その摂理に反して色んなものが融合され調和したような、、それは錯覚?
つまり叡智とは、何と奥深いところから生まれたものなのでしょう!