第4回  芸術の向こう側に見える世界へ
世界的に活躍する指揮者・マエストロ西本智実。第4回も引き続き西本さんの自宅にて、時が経つのも忘れるほど様々なお話を伺った。時間を気にした取材班が時計に目をやると、「時計の秒針をじっと見つめることがあるんですよ」と西本さん。左腕に着けているIWCのポートフィノを指さして、いたずらっぽく笑った。その理由とは……?

時に腕時計の秒針をじっと見つめている

【西本】音楽は空間芸術でもあり、指揮者の役割りの1つは、作品が生まれてから今日に至るまでに流れた時間、脈拍に通じるようなテンポの拍、演奏する場所によって変化する残響の長短、そうした様々な時間軸を決断する必要があります。だから私にとって、1分=60秒という世界共通のカウントは仕事に密着したとても重要なものでもあります。 時折秒針を見つめる事で、自身の精神的感覚を整えます。主観的な感覚を表現する為には、客観的感覚でコントロールする術が必要です。西洋芸術のセオリーの1つでもあるこの事と、世阿弥著「風姿花伝」にある“離見の見”が同じ事を伝えている事に、最近はスッキリと腑におち、愉快にさえ感じています。

──ステージでは愛用の腕時計を外して、本番の演奏に挑むという西本さん。まるで腕時計の着脱で、オンオフを切り替えているように見える。 

【西本】演奏中に外れるかもと感じているので、私の場合は腕時計や指輪などは身につけません。ネックレスは常に付けています。オーケストラリハーサルはタイムスケジュールを厳密に守りますので、リハーサルの時の時計は必需品でもあります。 

──キャリアのスタート地点となったロシアをはじめ、ヨーロッパ、北米・南米、中東、アジア諸国……。これまで、指揮者として西本さんを招聘した国は約30ヶ国。(会議などで訪れた国を含めると約50ヶ国になるとか!)。文字通りグローバルに活躍する西本さんだが、各国を代表するオーケストラや歌劇場で音楽や舞台を創り上げることは決して容易でない。その秘訣は何だろう。

【西本】指揮者とオーケストラは、例えば1人対80人、そこに合唱団が入り1人対400人となる構図もありますが、、、1対1で向き合いたい心持ちでいます。

個々が最善を尽くし、リハーサルで切磋琢磨しながら共に芸術を創造し始めた瞬間、私は彼らに敬意と愛情が自然に沸き起こります。


ピラミッドを見て、その美しさに涙が流れた

──世界各地で仕事をし、また自身のルーツを辿った今、改めて日本という国に何を感じているのか。 

【西本】大陸の自然を知ると、日本は激しい地殻変動を繰り返してきた火山列島である事を認識します。そして、その厳しさが生みだした類い稀な美しい自然を感じる国です。山々の多種多様な樹木が色づき風にそよぐ時、人間が感じている時間軸を超える世界がある事を教えてくれます。

──西本さんも愛用するIWCダ・ヴィンチシリーズのコンセプト「THE CODE OF BEAUTY」に倣い、西本さん自身の「美のコード」について尋ねてみると……。

【西本】月を描かず月明りで月を表現するといった間接的な表現に美を感じます。見えないものが見えてくるような表現です。私にとって音楽はまさにそれで、言語より私の心の直にある表現手段です。

また、音の響きは倍音を生み出しているのでオーケストラ作品、特に平均律で調律するピアノとオーケストラの作品には音の歪み幅は大きく生じます。純正律の響きはもちろん美しいですが、こういった倍音の歪みが生かされ瞬間に、美しいと、、ヴァチカンで演奏し改めて感じました。

エジプトを訪れた際には、ピラミッドを見てあまりの美しさに立ち尽くし、涙が止まりませんでした。こんな美しい造形物を作ったのか!と。

その時の思考によって、美の感じ方は様々だと思いますし、変容していく感覚もあります。


音楽という1つの表現手段

──もしも別の国、別の時代に生まれていたとしたら、違った人生もあったのでは……。そのように考える人も多い。西本さんにも、そんな思いがよぎることはあるのだろうか。 

【西本】芸術監督として演出や指揮する作品の中に入っていく時、その作品の中で自身ならどのような選択をするのか、、という事は考えます。

音楽でしか表現できないものがあるように、美術、言語、舞踊、何かを通してこそ浮き上がってくる世界があります。オペラ・バレエ他の舞台演出する時、各セクションの表現者たちと一緒に「世界」を創っています。 また、そうして創り上げた世界が本当の意味で完成するのは、舞台を観て聴いて下さる方たちの中に何かが生まれてきた時だと考えています。

──まるで開拓者のように、新たな世界に向かい続ける西本さん。いま、自身の未来をどのように見据えているのか。

【西本】新たな創作に入る時、私自身にいつの間にかあるような既成概念は取り去る考えで取り組むようにしています。

また、これから先の未来の世界を考える時、科学と芸術の結びつきを大変重要視しています。


「3拍子の魔力」を解明するコンサート

──都心の紀尾井ホールで開催される「指揮者 西本智実&脳科学者 中野信子が解明する音楽シリーズ」。第2回のタイトルは「3拍子の魔力」と銘打ち、チャイコフスキーやビゼー、ブラームスの作品を演奏する。キャッチコピーに「知的で贅沢な週末のひととき」とあるように、通常のコンサートとはひと味違う楽しみ方ができると評判だ。 

【西本】6月に開催した第1回のテーマは「和音」に特化し、1音変わるだけで全く異なる世界観が生まれるのを脳科学者の中野信子さんと実演の中で検証していきました。次回の2回目は「リズム」をテーマ、「3拍子の魔力」というタイトルで開催します。脈拍があるように、無意識であってもリズムを感じて私たちは生きています。その中でも割りきれない3拍子に特化し、様々な角度から音楽を捉えていきます。3拍子といえばワルツを思い起こす方が多いのでは?

他にもマズルカ、ポロネーズ他、特色ある3拍子の作品をプログラムしています。中野信子さんによる脳科学から紐解く音楽は、私もとても興味深いものです。また、開演前にはロビーに於いてイルミナートフィル アンサンブルメンバーによるウェルカムコンサート(ドリンクサービス)もありますし、お仕事を終えてからコンサートにお越し頂けるように開演時間を少し遅めの設定にしています。新しいインスピレーションが生まれてくるコンサートシリーズにしていきたいです。

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